学生の時バイトしていていた個人病院にとても温厚なおじいちゃんが来てた。
老人医療の問題がまだ言われてない頃だったから・・・
他にもかなり来てた。
でもなぜか?そのおじいちゃんが大好きで・・・・顔を見るとホッとしていた気がする。
‘その日’は突然来ました・・・
朝は元気だったのに・・・
あわてて向かったけど、すぐに‘だめ’な事はわかりました・・・
すべてを終えて帰宅してなぜか?涙がこぼれた・・
それ以来誰かの‘死’で泣いたのは大好きだった叔父だけ
‘その瞬間’が分かるので心の準備が普通の人より事前にできてしまう
そんなとき・・・冷酷な自分がとても嫌いになる
そうですか、でも…それが冷酷だとは思わないよ
私はカウンセリングで何度もリストカットを目の前で見てますが
やはり死ぬことが無いことがわかっているからある意味、冷静に
見てしまいます。いつも見ているとそうなるんでしようね。
私も「冷酷」だとは思わない…
なぜなら自分もそうだから
事実親の死に目にも遭えなかった私ですが
みんな涙を流している中で、私ひとりが平然と…
それは、死んだ親から「いつも覚悟だけはしておけ」と…
そんなことをいつも、覚悟していると、涙さえ出ないものです
ひとりになって、ある日突然思いだした時に、泣きたいような気持ちになる時もありますが…
日本人とはそんなものなのかも知れません…
義理の母の最後を看取ったときに・・・凄くショックでネ
その瞬間の息遣いや顔が今でもはっきり思い出される
あまり思い出したくはないのに・・・
それ以後、人の人生の終点に出くわすと・・・一歩引いている自分にすぐ気付いて
どうして・・・こんなに冷静なんだ・・・おかしくない??
と自問自答してた
私だけ・・・と思って誰にも言った事がなかったけど
そんなものなのかもしれない・・・・
なごみさん、ちえみさん、時雨月さん
私・・・・お見舞いもお葬式も大嫌いなんです・・・・不義理と言われようが行きたくない・・・
だって悲しんでる横で一人だけ‘人間はいつか死ぬのに’って冷やかな自分を再認識してしまうから・・・
皆さんのそれぞれの思いを聞いて少し安心しました(笑)
私ってそんなに変じゃないのかなぁってね(^_-)-☆